*集団的自衛権の行使容認について、安倍首相の有識者会議が5月15日に報告書を提出するといいます。「グリーン」で「ピース」な社会を目指すグリーンピースは、いま、戦争について語り継ぐことが大切だと考えます。これは、広島出身のグリーンピース・ジャパンのスタッフ、宮地大祐が語る「戦争を知らない世代」の平和への思いです。

                                                         (資料寄贈:川越 明人さん)

1945年8月6日午前8時15分。
その日から、今年で69年の月日が経過しようとしています。

「70年間は草木の一本も生えないだろう。」
そう言われ、壊滅的な状況になった広島市内は長い月日をかけて復興し、今では人々の活気にあふれ豊かな緑に覆われています。

しかし、市内を歩いていると、原子爆弾の残した傷跡が残され、私たちへの戒めとして語りかけてくれています。
私の祖母は、当時広島市内にいた直接の被害を受けた被爆者35万人のうちの一人です。(このうち、28万6,818名が昨年の8月6日までに亡くなってしまいました。)
祖母から、原爆の話を聞くことはあまりありませんでした。
しかし、私が小さかった頃、一度だけ話を聞いたことがあります。

「全てがむごかった。みんながいなくなってしもうた。二度とあんなことやっちゃいかん。」

この祖母の言葉は、今も私の心に戦争への恐怖と平和の尊さの象徴として残っています。
35万人。
そこで暮らしていたのは、普通の家族。お父さん、お母さん、おばあさん、おじいさん、そして、子供や動物たち。罪なき多くの命が犠牲になったのです。

         (写真提供:鈴木 恒昭さん、撮影:鈴木 六郎さん)

1945年5月の時点で、広島市内には41,638人の児童がいました。

そのうち、25,836人が集団疎開または縁故疎開していましたが、15,802人の児童は病気などの理由もあり広島市内にとどまっていました。
特に、低学年の1,2年生の多くは疎開をしていなかったため、原爆により多数の犠牲を出してしまいました。

写真の飼い犬のクマとともに笑顔を見せる少年は鈴木英昭くん。当時12歳の少年でした。
英昭くんは、近くの小学校で被爆。同じ小学校に通っていた、妹の公子ちゃんは火傷を負い、英昭くんは公子ちゃんをおぶって避難しましたが、途中で生き別れてしまいそれっきり。
英昭くんも、8月6日から1週間後、亡くなってしまいました。

疎開によって原爆の惨禍を免れることが出来た、子供たちにも親族をなくし"原爆孤児"となって悲劇はふりかかってきました。
その数は、広島市内だけでも6,500人はいるといわれています。
この子供たちの、その後を容易に想像することはできません。

                 (写真提供/資料所蔵:広島平和記念資料館)

子供たちと同じように、多くの動物たちも原爆によって、甚大な被害をこうむりました。

当時、広島市内には800~900頭の馬がいましたが、そのうちの60~70%が被害を受けたそうです。かろうじて市内で生き残った30頭の馬を調査したところ、発熱、白血球減少、体重減少などが見られ、1ヶ月以内に4頭の馬が犠牲になりました。
写真の馬も、爆心地1,750mのところで被爆。
首や体にやけどを負いケロイドを残しましたが、戦後も農耕馬として働き続けました。

また、正確な数字は断片的でしかないので分かりませんが、市内にいた多くの犬や猫も犠牲になったのです。

漫画「はだしのゲン」の著者として知られている中沢啓治さんも原爆で飼い猫のクロを失いました。中沢さんは自身の著書の中でこう記しています。

「私たち、家族はクロを家族の一員として日々愛情を注いで、ともに暮らしていました。8月6日当日、町に遊びに出かけていたクロは、原爆投下数日後に、私たちがよく使っていた町内の防空壕のなかで亡くなっているのが発見されました。火の手を逃れ、私たち家族を頼って逃げてきたのではないかと思うと可哀想でなりませんでした。
原爆、放射能はなんの罪もないこんな小さな命も含めて、生きとし、生けるものの命を全て奪っていきました。」

平和のあり方は、政治家をはじめとした私たち、大人の目線で語られることが多いです。今も、世界では政治家たちが雄弁を奮い平和と安定という名のもと軍事力を行使することが横行しています。

「どんな戦争といえども、容易なものはない。一度、戦争に身をゆだねた政治家は制御しがたい戦いの奴隷となるだろう。」

ウィンストン・チャーチルは自身が新聞特派員として赴き経験した、ある戦争をこう回顧しています(皮肉なことにチャーチル自身も第二次世界大戦時に英国首相を勤め、戦後、英国は核保有国になってしまいました。)

どこの国、場所であったとしても、そこに普通の家族が暮らしていて、一度、紛争がおこればその人々が苦しむことになる。自分たちの身近な人々、動物たちが傷つくことになる。そしてそれは私たちにも起こりうる可能性があることを見過ごしてはいけないと思います。

真の平和とは、こうした声なき弱者の視点に立って物事を捉え、支援をおこない不平等をなくしていくことでないでしょうか。そうすれば、必然的に軍事力の行使という選択肢はなくなるのではないでしょうか。

第2次世界大戦の犠牲者の数は、6,500万人におよぶと推定されています。
そのうちの4,000万人以上は武器を持たない市民だったといわれています。
そして、最終的には最悪の非人道的方法で尊い命が一瞬で奪われました。

「安らかに眠って下さい。過ちは繰返しませんから」

原爆慰霊碑に刻まれた、この言葉がいつの時代も私たち人類に投げかけられた大きな教訓であり続けることを決して忘れてはいけません。

宮地 大祐

グリーンピースが世界の有志を募って核実験場に船を出して反対活動を行っていることを知り、その行動力と使命感に共感。2007年よりグリーンピースジャパンにて活動を開始。

東京電力福島第一原発事故直後から福島での放射線調査に参加。
毎週金曜日に首相官邸前に行き「再稼働反対」の市民の声を上げ続けている。

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※ 参考文献
広島市・長崎市原爆災害誌編集委員会 編『広島・長崎の原爆災害』岩波書店 1979年
広島市役所 編『広島原爆戦災誌』広島市役所発行 1971年
中沢啓治 著『クロがいた夏』垣内出版発行 2011年